SSブログ

トルコ イスタンブール空港 [トルコ]

P1030685.JPG
イスタンブール、アタチェルク空港
入国に面倒な書類は必要ありません。
しかし、パスポートコントロールの長蛇の列には参りました。
とある宗教の方々は家族で旅行されます。古代から民族の慣わしですが、詳細は面倒なので省きます。
つまり大人数で、中にはお金持ちのお家はメイドさんを連れての大人はうるさいは、子供は騒ぐし泣くし、エアコンの効きが悪いし、審査官はお菓子たべているし
余談ですが、パスポートコントロールの審査官が真面目に仕事しているのは、日本とドイツだけです。他の国は、大概、誰かと話しながら、お菓子食べながらやっています。その上「何しに来たの?」、「仕事は?」、「何やっている会社なの?」とか余計なお世話です。

トルコリラは通貨的に両替のレートが良くありません。10月10日の為替レートでは1TL=49.5円、空港両替窓口では51円。とりあえず10,000円を両替。別途手持ちで40ドル、日本円10,000円、これがトルコに持ち込んだ現金の総額です。ラッゲージターンテーブルを抜けて空港を出てすぐ右にATMがあります。
また空港出口の前に、DUTY FREE ショップがあります。長旅をされる方は、1本買っておくのもいいかもしれません。

空港から出ると、国によって”空気”が違うような気がします。雰囲気というより、空気の体感です。
この空気感の違いが楽しみです。しかし、イスタンブール空港は、夜着なのか、都市から離れているせいか、何も感じませんでした。日本の空港に降りたよう。

空港は建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクから命名。
没後75年になりますがトルコの人たちはムスタファ・ケマル・アタテュルクを尊敬し信望しています。
アタテュルクは父なるトルコ人を意味しているようなので、建国の父「アタチェルク」は重なった表現です。
アタチェルクさん、アタチュルクさん、どうでもいいです。しかし政教分離したのは偉業かと思います。つまり、アルコールフリー、じゃなくてフリーアルコールの国です。フリーダム万歳。

政教分離の偉業とアルコールについては後日、詳細を書かせていただきます。とある宗教についても。

トルコ イスタンブール [トルコ]

P1030700.JPG
SHERATON ISTANBUL MASLAK HOTEL
20:30チェックイン
トリップアドバイザー61点
小奇麗なシティホテルです。シングルユースなので部屋は余裕です。周りには商店、ガソリンスタンドなど何もありません。しかし、AirMailの送付は受け付けない、小銭の両替はできないと言われる。5星なのでしょうか。
朝食はコンチネンタルスタイルのビュッフェ。及第点です。
余談ですが、小銭への両替を頼んだのは、トルコではホテル、レストランを除き、トイレは有料で、1TLのコインが必要です。トイレ事情については詳細後日書き込みます。

トルコ周遊はツアーで来ています。
Istanbul
Truva
Efes
Pamukkale
Kapadokya
Ankara
を6泊9日で巡ります。鉄道網が発達していないので移動は車になります。ツアーに参加したのもその理由です。

トルコ イスタンブール ボスボラス海峡 [トルコ]

P1030709.JPG
ボスボラス海峡
ヨーロッパ側から海峡を半周します。10月の朝は肌寒い。
遠くにボスボラス大橋が見えます。アジア側対岸には幾隻ものマンションのようなクルーズ船。
海峡を遡り黒海に向かうのはロシア船籍。
東西文化交通の要所。

地理を学んだ方、歴史を学んだ方、やはり自分の目で確かめるべきでしょう。見た目、関門海峡より少し広め。

トルコ チャイ [トルコ]

P1030717.JPG
チャイ

トルコの人たちに欠かせない紅茶”チャイ”。紅茶に詳しくありませんので、銘柄、茶葉がどうのと加筆するネタがありません。強いて言えば煮出しすぎて少し渋みが出た感じ。トルコの人たちは空気を吸うようにチャイを飲んでいます。
角砂糖を2個入れて甘くするとおいしいです。1TL
ボスボラス海峡観光船にて。

日本以外のお菓子は、どこでも甘いというのはトルコも例外ではありません。砂糖消費は日本より僅かに多いそうですが、国民一人当たりにすると約2倍になります。
郊外に出ると砂糖ダイコンの畑が広がります。

トルコ ボスボラス大橋 [トルコ]

P1030714.JPG
ボスボラス大橋

ボウボラス海峡の長さは30km、最も狭いところで700m。水は黒海からマルマラ海を経てエーゲ海に流れます。
ボスボラス大橋の慢性的な渋滞は問題になっているようです。実際通ってみると、渋滞はしていますが、橋を抜けると渋滞は解消されます。見物渋滞なのでは。

ボスボラス海峡には、他にファーティフ・スルタン・メフィット大橋が架橋されています。

トルコ グランバザール [トルコ]

P1030723.JPG
グランバザール

屋内市場としては中東最大だそうです。トルコの人たちに言わせると、トルコは中東ではありません。
とにかく広大ですが、入り口の門から向かいの出口の門まで直線に抜けると、走って2分くらい。
同系列の店舗が並んでいますので、金製品コーナーはキラキラ。余り趣味ではありません。
実際に買い物をする場所では無く、観光地です。品物に価格は明示されていません。

トルコ 鯖 [トルコ]

P1030744.JPG
イスタンブールの鯖料理。
味?ですか。写真のままです。お味噌汁が欲しくなります。

鯖の写真を張り付けても面白くないので時系列で、ウィーン、グアムも更新しています。

トルコ 神話のトロイ [トルコ]

P1030778.JPG
トロイ

ホメロスの叙事詩「イーリアス」に登場する都市イリオス。アッティカではトロイア、トルコではTruva、英語でTroy。
イーリアスは紀元前15世紀、神々と英雄たちの物語である。実際にイーリアスが口承伝承という形で世に出るのは紀元前8世紀のころである。イーリアスの主人公はアキレスである。
まず、このイーリアスを”神話のトロイ”とします。

対して、現存する”遺構のトロイ”。

叙事詩「イーリアス」神話のトロイ
女神アフロディーテの助けを借り、イリオス王プリアモスの息子パリスが、スパルタ王メネラーオスの妻で絶世の美女ヘレネーを奪って妻とした。メネラーオスは直ちにトロイアにヘレネーを帰すよう求めた。しかし交渉は決裂、メネラーオスは兄アガメムノーンとともにトロイア攻撃を開始した。アガメムノーンを総大将としたアカイア軍はイリオスに上陸、プリアモス王の王子ヘクトールを事実上の総大将としたイリオス軍と衝突した。イリオス軍は善戦し、多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続いた。アカイア軍の将オデュッセウスは考えた。アカイア軍が戦いをあきらめたように見せかけ、巨大な木馬を神にささげる形で残し、船で全軍を引き上げたわけだ。戦いが終わったと思ったイリオス軍は木馬を城内に引き入れたが、この木馬にはアカイア兵が潜んでおり城内に火を放つ。引き返したアカイア軍とともに攻撃を開始、難攻不落を誇ったイリオスは陥落した。

P1030772.JPG
トロイ遺構

現在までの調査によると、イリオスの遺跡は9層から成る。
第I層、すなわち最初の集落は紀元前3000年頃に始まっており、初期青銅器時代に分類される。
第II層は、エーゲ海交易によって栄えたと考えられており、トロイア文化ともいうべき独自の文化を持っていた。城壁は切石の下部構造を持ち、入り口は城壁を跨ぐ塔によって防衛されている。
第III層から第V層は繰り返し破壊の憂き目を見ており、発展的状況は認められない。
第VI層紀元前1800年から紀元前1300年に至るにおいて、イリオスは再び活発に活動を始めている。
第VII層Aはすぐに崩壊し、後に貧弱な第VII層Bが続いていた。その後に第VIII層、第IX層が続くが、これらはギリシア人・ローマ人による町の遺構である。

ハインリッヒ・シュリーマンによる発掘
1822年ドイツで牧師の子として生まれたシュリーマンは貧しい少年時代を経て、商人として事業に成功する。幼少のころにホメーロスの『イーリアス』に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけと自著で語っている。実業家を引退し自費でトロイ遺跡の発掘を開始した。彼は『イーリアス』を読み込んだ結果、トロイア市はヒサルルク(ヒサルルック)の丘にあると推定した。1873年にいわゆる「プリアモスの財宝」を発見し、伝説のトロイアを発見したと喧伝した。wikiより)

1014px-MaskeAgamemnon_thumb.jpg
シュリーマンが「プリアモスの財宝」と言い張った「アガメムノン王のマスク」。真偽は多分、偽。

P1030773.JPG
この坂から”トロイの木馬”を引き入れたとされています。

トロイの木馬伝説については真偽はさておき、夢がある興味深い話です。シュリーマンもそうだったのでしょう。彼の功績は偉大。しかし、火災跡があった第II層をトロイ遺跡と考え、またいわゆる「プリモスの財宝」(プリモスはトロイ戦争の英雄ヘクトルの父)が発見されたため、遺跡が全体が大きく削り取られ、紀元前1200年ころの第VII層Aだったイーリアス時代の物は残っていないようです。発掘調査の結果、トロイは都市というより城塞であることがわかりました。城壁は下部が石組みで、上部は粘土と麦わらを混ぜたレンガでできており、オバーハング形状であったと言われています。粘土でできてた構造のため、発掘され風雨にさらされると、土に戻ってしまうことから、さらにイーリアス時代の遺物調査を困難にし、トルコ政府も遺跡保存に尽力しているようです。
何事にも一貫して取り組み、地道な努力を積み重ねるシュリーマンは伝記にもなり、読まれた方もいらっしゃると思いますが、彼はいわゆるトレジャーハンター、宝探しでした。残念。私も伝記を読んだ一人です。

残念ついでですが、観光地としてはどうかと思います。派手さは、入り口に置かれた複製の木馬だけです。木馬の形状は前述の石坂の幅から推計して再現され、内部に階段で登れるようになっています。石坂の幅には収まりそうですが、木馬の高さは10m以上あると思われ、15mと推定されている城壁を通ったのか、素人目にも疑問が残ります。歴史に興味のある方、限定で訪れてください。

”トレジャーハンター”シュリーマンは「プリモスの財宝」をオスマン帝国政府に無断でドイツに持ち出し、第二次大戦のどさくさでソ連の略奪により、現在、ロシアのプーシキン美術館に収蔵されているそうです。当然、トルコ政府は返還を強く要求しています。


トルコ アイワルク AYVALIK [トルコ]

P1030806.JPG
グランド テミゼル ホテル GRAND TEMIZEL HOTEL
トリップアドバイザー61点
小奇麗なホテル。団体客向け。夕食、朝食はブッフェ。及第点。特筆なし。
前日のSHERATONで断られた郵便、中身はDVDですが、郵送を手配してくれました。多分10TLです。
請求しないこちらも悪いのでしょうが、トルコのホテルは明細書を出してくれません。

頼んだ郵便物ですが、いまだに届いていません。

トルコ ラク [トルコ]

P1030798.JPG
ラク。トルコのお酒。ホテルのレストランで8TL

ブドウから作られる蒸留酒で、アニスで香りが付けられている。無色透明だが水を加えると非水溶成分が析出して白濁するのが特徴で、その様子からトルコ語で「アスラン・スュテュ」(aslan sütü、「獅子の乳」の意)」と呼ばれる。アルコール度数は45パーセントから50パーセントで、メゼ(前菜)と一緒に食前酒として飲まれる。wikiより)

味は香草、といいますかクローブ、カルダモン、八角、ミント、、、、いわゆるアニスです。私は苦手です。2度目はないでしょう。フランスのパスティスと同じ味です。がまんして飲み切りました。

トルコはイスラム教国ではあるが、飲酒に関しては比較的寛容なため、イスラム原理主義者からは飲酒文化を非難されています。
しかし多分に、ムハンマドさんは神から「お酒は飲みすぎるとよくないからほどほどに」といった啓示を受けたのではないかと、私は想像しています。お酒も神の創造物ですから。ところが、中には生真面目な信者の方がいて「神は禁酒を命じた」と狭義に解釈してしまったのではないでしょうか。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。