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トルコ 神話のトロイ [トルコ]

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トロイ

ホメロスの叙事詩「イーリアス」に登場する都市イリオス。アッティカではトロイア、トルコではTruva、英語でTroy。
イーリアスは紀元前15世紀、神々と英雄たちの物語である。実際にイーリアスが口承伝承という形で世に出るのは紀元前8世紀のころである。イーリアスの主人公はアキレスである。
まず、このイーリアスを”神話のトロイ”とします。

対して、現存する”遺構のトロイ”。

叙事詩「イーリアス」神話のトロイ
女神アフロディーテの助けを借り、イリオス王プリアモスの息子パリスが、スパルタ王メネラーオスの妻で絶世の美女ヘレネーを奪って妻とした。メネラーオスは直ちにトロイアにヘレネーを帰すよう求めた。しかし交渉は決裂、メネラーオスは兄アガメムノーンとともにトロイア攻撃を開始した。アガメムノーンを総大将としたアカイア軍はイリオスに上陸、プリアモス王の王子ヘクトールを事実上の総大将としたイリオス軍と衝突した。イリオス軍は善戦し、多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続いた。アカイア軍の将オデュッセウスは考えた。アカイア軍が戦いをあきらめたように見せかけ、巨大な木馬を神にささげる形で残し、船で全軍を引き上げたわけだ。戦いが終わったと思ったイリオス軍は木馬を城内に引き入れたが、この木馬にはアカイア兵が潜んでおり城内に火を放つ。引き返したアカイア軍とともに攻撃を開始、難攻不落を誇ったイリオスは陥落した。

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トロイ遺構

現在までの調査によると、イリオスの遺跡は9層から成る。
第I層、すなわち最初の集落は紀元前3000年頃に始まっており、初期青銅器時代に分類される。
第II層は、エーゲ海交易によって栄えたと考えられており、トロイア文化ともいうべき独自の文化を持っていた。城壁は切石の下部構造を持ち、入り口は城壁を跨ぐ塔によって防衛されている。
第III層から第V層は繰り返し破壊の憂き目を見ており、発展的状況は認められない。
第VI層紀元前1800年から紀元前1300年に至るにおいて、イリオスは再び活発に活動を始めている。
第VII層Aはすぐに崩壊し、後に貧弱な第VII層Bが続いていた。その後に第VIII層、第IX層が続くが、これらはギリシア人・ローマ人による町の遺構である。

ハインリッヒ・シュリーマンによる発掘
1822年ドイツで牧師の子として生まれたシュリーマンは貧しい少年時代を経て、商人として事業に成功する。幼少のころにホメーロスの『イーリアス』に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけと自著で語っている。実業家を引退し自費でトロイ遺跡の発掘を開始した。彼は『イーリアス』を読み込んだ結果、トロイア市はヒサルルク(ヒサルルック)の丘にあると推定した。1873年にいわゆる「プリアモスの財宝」を発見し、伝説のトロイアを発見したと喧伝した。wikiより)

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シュリーマンが「プリアモスの財宝」と言い張った「アガメムノン王のマスク」。真偽は多分、偽。

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この坂から”トロイの木馬”を引き入れたとされています。

トロイの木馬伝説については真偽はさておき、夢がある興味深い話です。シュリーマンもそうだったのでしょう。彼の功績は偉大。しかし、火災跡があった第II層をトロイ遺跡と考え、またいわゆる「プリモスの財宝」(プリモスはトロイ戦争の英雄ヘクトルの父)が発見されたため、遺跡が全体が大きく削り取られ、紀元前1200年ころの第VII層Aだったイーリアス時代の物は残っていないようです。発掘調査の結果、トロイは都市というより城塞であることがわかりました。城壁は下部が石組みで、上部は粘土と麦わらを混ぜたレンガでできており、オバーハング形状であったと言われています。粘土でできてた構造のため、発掘され風雨にさらされると、土に戻ってしまうことから、さらにイーリアス時代の遺物調査を困難にし、トルコ政府も遺跡保存に尽力しているようです。
何事にも一貫して取り組み、地道な努力を積み重ねるシュリーマンは伝記にもなり、読まれた方もいらっしゃると思いますが、彼はいわゆるトレジャーハンター、宝探しでした。残念。私も伝記を読んだ一人です。

残念ついでですが、観光地としてはどうかと思います。派手さは、入り口に置かれた複製の木馬だけです。木馬の形状は前述の石坂の幅から推計して再現され、内部に階段で登れるようになっています。石坂の幅には収まりそうですが、木馬の高さは10m以上あると思われ、15mと推定されている城壁を通ったのか、素人目にも疑問が残ります。歴史に興味のある方、限定で訪れてください。

”トレジャーハンター”シュリーマンは「プリモスの財宝」をオスマン帝国政府に無断でドイツに持ち出し、第二次大戦のどさくさでソ連の略奪により、現在、ロシアのプーシキン美術館に収蔵されているそうです。当然、トルコ政府は返還を強く要求しています。


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