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ムンク展 ― 共鳴する魂の叫び 東京都美術館 [お話]

上野では「フェルメール展」上野の森美術館
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「ルーベンス展―バロックの誕生」国立西洋美術館
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王の画家にして、画家の王・・何やら世紀末覇者みたいだな。
そして「ムンク展―共鳴する魂の叫び」東京都美術館
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今冬、上野に集まった名画を売ったとすると、どこかの国家予算規模になるんじゃ無いかな。

上野公園のイチョウがいい感じ
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西洋美術館の前を通り
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西洋美術館にあるロダン「地獄の門」
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地獄の門の出口はステンレス製で小さいが窓付き
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東京都美術館、略して「トビカン」
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ミュージアムショップで例のあれが風船人形で売ってます。買いませんけど。
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まず入場券を買うために並ばなければなりません。
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なぜに混んでいるかというと、たった今朝Eテレ「日曜美術館」でこのムンク展の特集を放送していたからだと思います。
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↑ コレは再放送の告知。
入場に10分待ちだそうだ
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会場入り
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混んでます

エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch ), 1863年12月12日- 1944年1月23日)は、19世紀 - 20世紀のノルウェー出身の画家。『叫び』の作者として世界的に有名で、ノルウェーでは国民的な画家である。軍医の長男として産まれるが生活は裕福ではかったという。幼年時期に母、姉を相次いで亡くす。また自身も体が弱かったことから後の彼の作品に生涯にわたって影響を与えたと言われる。厳格なクリスチャンであった父から牧師になることを勧められたが、反対を押し切って1880年王立絵画学校に入学。と、Wikipedia に書いてある生い立ちを読むと、どうしても「叫び」に持っていこうと恣意的なストーリーの様な気がします。
ムンクが生きた時代ってどんな時代? ちなみに明治政府発足したのが1868年、世界は近代化にまっしぐらの時代。しかし1918年にパンデミックを起こしたスペイン風邪は世界全人口の半数が罹患(ムンクも寝込んだらしい)し全世界の4%を死に至らしめた。19世紀初頭といえばロンドンでは5人に1人が結核で亡くなったといわれている。知り合いの誰かは病気なり戦争なりで亡くなっていて、この時代、死とは誰にとっても身近なもの、意識するものであったのではないかな。

ムンクってどんな人なんだろう?
本展ではムンクが19才に描いた自画像が展示されています。19才といえば絵画学校の課題だったかもしれませんが、自分への自信が顎のあたりに出まくっています。
『自画像』1882年 油彩、紙(厚紙に貼付け)/ 26.5 [×] 19.5 cm ムンク美術館 (C)Munchmuseet
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ほら凛々しく男前に描いている

『叫び』1910年テンペラ、厚紙 / 83.5 [×] 66 cm ムンク美術館 (C)Munchmuseet
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さて、叫んでいるのはこの絵に描かれた目を見開いた妖精なんかではありません。
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背景はノルウェーのフィヨルド、血のように赤いのは空。もちろんこれは風景画ではなく、ムンクが感じたことをそのまま絵にしている。「僕は一人不安に震えながら立ちすくんでいた。自然を貫く、ひどく大きな、終わりのない叫びを、僕はその時感じたのだ」(ムンク談)。自然の叫び(幻聴かもしれん)に恐怖を感じ耳を塞ぐ「リトル・ムンク」をムンクが描いたのだ。
『叫び』は、1893年以降、4点制作され(リトグラフ作品を除く)、ムンク美術館に2点所蔵されているほか、オスロ国立美術館所蔵と、個人所蔵のものが1点ずつある。本展では4作の内、唯一「黒目」が無い
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ムンクが描く黒目って「黒色」をチョンと塗っただけ感。「目」って絵に魂を混めるって大事だと思います。故にこの黒目が無い「叫び」が『叫び』を一番表現していると思います。
他には、
『太陽』(壁画のための習作)1910-11年。油彩、772 × 450 cm。ムンク美術館 (C)Munchmuseet
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ムンクの題材に「接吻」と「吸血鬼」がそれぞれ数点あります。本展でも何点か展示されてました。
『月明り、浜辺の接吻』1914年/ 油彩、カンヴァス/ 77 [×] 100.5 cm ムンク美術館蔵 (C)Munchmuseet
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『森の吸血鬼』1916-18年/ 油彩、カンヴァス/ 149 [×] 137 cm ムンク美術館蔵 (C)Munchmuseet
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どちらもムンクが繰り返し描いたテーマ。複雑な男女の関係を一度混ぜたら二度と剥がせない二色粘土の様と考えたのだろう。血を吸う吸血鬼なのが女性って所は、ムンクが女性で苦労したから。
私が見たかったのが、
『病める子』1885-86年/ 油彩、キャンバス / 119.5 × 118.5 cm オスロ国立美術館
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残念ながら本展には来ていない。
病気の子供とはムンクが過去に幼くして体験した兄弟の死、テーマは重い。しかしながらムンクの他の作品とタッチが違う。
リトグラフは展示されていました。
『病める子 Ⅰ』1896年/ リトグラフ 43.2 [×] 57.1 cm オスロ国立美術館
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もう一つが
『マドンナ』1894-1895年 油彩 91 × 70.5 cm ムンク美術館所蔵
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これも残念ながら本展には来ていない。
マドンナとは聖母マリアを指すが、この作品を「マリア」にしなくて正解。一般論として男にとって女性って母であり、または愛とか好きとか性の対象、つまりエロだったりする訳です。「目」からうかがえる表情は、下方を見ているのか(=マリア)、目をふせているのか(=エロ)見方によって変わる。これもムンクの他の作品とタッチが違う気がする。
リトグラフが数点展示されていました
『マドンナ』1895/1902年 /リトグラフ 71 × 59 cm ムンク美術館蔵 (C)Munchmuseet
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リトグラフで摺ることで前述の「目」表情がボールペンでグリグリ描いたように表現されて、さらに見るものを惑わす、魅惑させる。
このリトグラフで印刷されたマドンナってポップアートじゃないかな?ジャンルとして。ポップアートだと思って調べてみたら、アンディ・ウォーホルも同じく考えていたようです。
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右はムンクの自画像

私が思うに、ムンクという人物は思ったことや感じたことを絵にしてしまう画家。そんなんで直感で描いた絵を否定されると、誰しも凹むし心折れるし憤慨もするだろう。画家とはそんなリスキーな稼業。世間の否定を己に向けてしまったムンクはアルコールに依存したりしたが、晩年は牛を飼って暮らしたそうだ、めでたしめでたし。

ムンク展ミュージアムショップ
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マドンナ版の図録とトートバックを買いました
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この柄のトートはオスロのムンク美術館でも売ってるが、日本で売ってるのはちゃちぃ。ちなみにこの柄はムンク最晩年の作に描かれているベッドカバー。
『自画像/時計とベッドの間』1940年-44年。油彩、キャンバス、150 × 120 cm。ムンク美術館
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老人(ムンク自身)の背後には半分開かれた扉が描かれており、これは死出を意味し時計は残された時間、それに対してベッドカバーは派手じゃないかな。私がムンクが嫌いなのはこのアンバランスさなのかもしれない。
出口の立て看板
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「耳を塞ぐ人」が突き出ているので肩を組んで記念撮影が出来ます
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