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Mevlana Museum メヴレヴィー博物館 [トルコ]

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ジェラルディン・ルーミー霊廟。ジャラール・ウッディーン・ルーミーは1207年9月30日 - 1273年12月17日のペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人である。

まず、何から書けばいいのか。以下は私のメモなので読み飛ばしていただいても構いません。

イスラム教は正式名をイスラームという。 イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ、アッラー)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。ムスリム(アラビア語:مسلم, Muslim)は、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラム教徒のことです。ムスリムは、自らの教えの名を、アラビア語で「身を委ねること」「神に帰依すること」を意味するイスラーム (الإسلام al-Islām) の名で呼ぶ。「イスラーム」は「神への帰依」を意味すると解されており、「ムスリム」(イスラム教徒)は「神に帰依する者」を意味する。何が何だか。
イスラム教の教典(聖典)としてすべてのムスリムが認め、従うのは、アラビア語で「朗唱されるもの」という意味をもつクルアーン(コーラン)唯ひとつである。 クルアーン(コーラン)はムハンマドが最後の予言者として語った内容が、ムハンマドおよび後継者の代によって編集され、書物となったものである。

アッラーフというのはアラビア語で「神」という意味で、神様の名前ではありませんす。アッラーフはムハンマドに全ての啓典をムハンマドに授けたので、ムハンマドは最後の預言者ということです。

イスラム教では、神(アッラーフ)が、預言者を通じて人類に下した啓典が、人類にとって正しい信仰の拠りどころになると考えている。

イスラム教の信仰の根幹は、六信五行、すなわち、6つの信仰箇条と、5つの信仰行為から成り立っている。
六信は、次の6つである。
・神(アッラー)唯一絶対神、全知全能
・天使(マラーイカ)神と人間の中間的存在、仲介者
・啓典(クトゥブ)アッラーの啓示『クルアーン』が最後にして最良の啓典
・使徒(ルスル)ムハンマドは最良にして最後の預言者
・来世(アーヒラ)最後の審判を受ける
・定命(カダル)人間の好意は全て神の創造である
このうち、特にイスラム教の根本的な教義に関わるものが神(アッラー)と、使徒(ルスル)である。ムスリムは、アッラーが唯一の神であることと、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる。イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者は、証人の前で「神のほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」の2句からなる信仰告白(シャハーダ)を行うこととされている。
また、ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行(五柱ともいう)は、次の5つとされている。
・信仰告白(シャハーダ)礼拝の度に唱える
・礼拝(サラー)1日5回メッカに向かう
・喜捨(ザカート)困窮者救済
・断食(サウム)ラマダーン月の日の出から日没までの飲食の禁止
・巡礼(ハッジ)一生に一度、巡礼月の7から13日にメッカに巡礼する

イスラームにおいては偶像崇拝の禁止が徹底されている。雪だるまを作ることさえ禁止されている。作るとしたら” 心 ”が無いもの、自動車・飛行機などなど。肖像画などもっての外だ。絵画や彫刻にといった物に執着すること無く、もっぱら宗教の教えに帰依するべし、ということなのだろうか。
聖典『クルアーン』(コーラン)には信徒間の平等が記されており、それゆえ、イスラーム社会では、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級をもたない。宗教上の指導者を有するのみである。信徒間の平等は、五行のうちの「喜捨」などの実践にもみられる。
イスラームにおける天国(جنّة jannah) は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。望んだ物は全て望んだ以上の姿で目の前に現れ、欲しい物はすべて手に入れることができる。不死で子どもを生むこともない。神様が天国で過ごしやすいような姿形を与えてくれる。『クルアーン』ではイスラームにおける天国の様子が具体的に綴られている。

以上が、イスラームの教義でしょうか。神がアラビア語をもって人類に下したとされるクルアーンを啓典とする宗教であり、教えの名称を含め、宗教上のほとんどの用語はアラビア語を起源とする語である。神はアラビア語を使ったのである。

特筆なのは、神がアラビア語で啓示をしたこと、偶像崇拝の禁止、信徒の平等といったところでしょうか。また五行および五行以外にも、賭け事、酒、豚肉、殺人をしない、利子、女性について云々、などの規範があるのもイスラームの特色です。イスラム教とは「神を信仰する宗教」ということでしょうか。奇跡を期待する宗教ではないようです。

ここまでで、ようやくベースができました。イスラームの拡大を歴史から見ると
622年ムハンマドがメディナに聖遷。イスラム教団国家の建設。イスラーム元年
630年メッカ占領、アラビア半島統一
650年ムハンマド没
642年ササン朝ペルシアを破る。同国滅亡
661年ウマイヤ朝アラブ帝国建国。
    アラビア半島、イベリア半島、アフリカ北部、エジプト、シリア、トルコ、イラン、イラク、中央アジア征服
750年アッバース朝イスラーム帝国建国。ウマイヤ朝滅亡。
    イスラーム文化最盛期。アラビアン・ナイト、千夜一夜物語ですね。
1038年セルジューク朝トルコ建国
1096年第1回十字軍

アラブ帝国はアラブ人が特権階級として他民族を支配したのに対して、イスラーム帝国は民族を問わずムスリムの平等を実現した。アッバース革命とも呼ばれている。
約100年で多様な民族・宗教を内包する広大な地域を支配することができたのは、貢納を行えば信仰の保持と自治が与えられた、またクルアーンの元では信徒の平等があった。イスラームは寛容である。「クールアンか剣か」は取って付けた作り話である。正確には「コーランか貢ぎ物か剣か」であり、強制改宗を含意する「コーランか剣か」は反イスラーム主義によるプロパガンダの性格が強く、誤解をまねく表現である。『クルアーン』では改宗の強制は否定している。
ジハード(جهاد‎ jihād)は、イスラームにおいて信徒(ムスリム)の義務とされている行為のひとつ。ジハードは本来、「努力」「奮闘」の意味であり、ムスリムの主要な義務である五行に次いで「第六番目の行」といわれることがある。ジハードは、『クルアーン』に散見される「神の道のために奮闘することに務めよ」という句のなかの「奮闘する」「努力する」を語源としており、アラビア語では「ある目標をめざした奮闘、努力」という意味である。この「努力」には本来「神聖」ないし「戦争」の意味は含まれていない。しかし、『クルアーン』においてはこの言葉が「異教徒との戦い」「防衛戦」を指すことにも使われており、これが異教徒討伐や非ムスリムとの戦争をあらわす「聖戦」(「外へのジハード」)の意に転じたのである。したがって、「聖戦」という訳語は、ジハード本来の意味からすれば狭義の訳語ということができる。「神の道」にかなうような、道徳的で高潔な人となるためには、自らの内面に潜む悪と戦い、善行によって社会の改善に資するよう、真剣に奮闘努力しなければならない。それにまた、ジハードは、その人の置かれた環境によっては、不正や抑圧に対する戦いという意味をもつこととなり、宣教と説得によって、また場合によっては、必要に応じては武器をとり、「聖なる戦い」を繰り広げることによって正しい社会をつくらなければならないという考えと結びつくのである。
もし、ある戦争行為を「ジハード」として遂行することが必要となった場合は、カリフやスルタンなどの統治者はムフティーと呼ばれる宗教指導者に対し、その戦争がジハードとして認められるかどうかを諮問しなければならない。その結果、ムフティーが合法であるとするファトワーを発することで、統治者は「ジハード」を宣言することができる。
ジハードには、このような法的根拠が必要であり、その根拠のないものを「ジハード」とは呼べない。開戦が「防衛的ジハード」であり、法的根拠を有する場合は、全ムスリムは、国家や民族を超えて全イスラーム教徒が、直接的にであれ間接的にであれジハードに参加しなくてはならない。
イスラームは専守防衛なのです。テロリズムとは全く持って縁の無い宗教である(はず)。

セルジューク朝トルコ建国により、イスラームは第2の最盛期を迎える。そもそもイスラーム文化はギリシア文明、ペルシャ文明、インド文明の融合文明である。
その中で、神の属性を人間の行為との関わりを論理的に追求しようとした神学が始まった。いよいよジェラルディン・ルーミーの登場です。まだ長いです。

ジェラルディン・ルーミーはペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人である。イスラーム神学、スーフィズムの重要な人物の一人と見なされている。世界史上最大の詩人の1人でもある。その思想により人類を啓蒙する重要な学者であり思想家です。
1228年トルコ内陸アナトリア地方都市コンヤに定住する。そして没するまで詩人として、導師として過ごします。
スーフィー(アラビア語: صوفي‎ Ṣūfī)とは、おもにイスラームの唯一神アッラーとの我執を滅却しての合一(ファナー فناء fanā')を目指し、清貧行を主として様々な修行に励む人々を指す。我執を滅却しての合一、難しすぎる。
詩人としてのジェラルディン・ルーミーの作風は、簡潔かつ平易であるが抒情性に富む文体が特徴的であり、詩を読む者に深い感銘を与える。
彼の作品

「光はひとつ」
ランプはそれぞれ違っても、放つ光は同じひとつ。

光、それははるか彼方から届けられる。
あなたがランプに眼を奪われ続けるのであれば、
あなたはあなた自身を奪われてしまう。
ランプの種類は数限りなく、各人の嗜好もまた然り。
あなたの視線を光に転じ、光そのものを見つめよ。
そうすれば、あなたは地上における事象に特有の、
二元性の限界から解き放たれるだろう。
そのようにして新たな視線を獲得すれば、
イスラム教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒の違いは、
依って立つ位置の違いに過ぎないことが理解できよう。

ヒンドゥー教徒たちが、見せ物にしようと象を連れてきた。
見物客たちは、象のつながれた暗い小屋へと入ったが、
暗闇の中では、眼で見ることは不可能だったので、
それぞれの手のひらで象に触れる以外には方法がなかった。
ある者は象の鼻に触れ、「この獣は水道管のようだ」と言った。
またある者は耳に触れ、「この獣は扇のようだ」と言った。
またある者は脚に触れ、「まるで柱のようだ」と言い、
またある者はその背に触れた。「本当に、」その者は言った、
「これは玉座のような生き物だ」と。

一人ひとりが光を放つろうそくをその手にしていたら、
それぞれの言葉に違いはなかっただろうに。

神とは光である、宗教が異なれど神の創造物である象は1つである、見誤ってはいけない、ということでしょうか。目の不自由な人に「象って何?」と尋ねたら「丸太」と答えた、という話の初出はこれでしょうね。
ルーミーの他の作品としては、『七説話』があります。

「七説話」
1.恵みや人助けは、流れる水の如く (惜しみなく絶え間なく)
2.情け深さと親切は、太陽の如く (平等に暖かく)
3.人のあやまちは、夜の闇の如く (覆い隠せ)
4.怒りや苛立ちは、死の如く (葬り去れ)
5.慎み深さと謙虚さは、大地の如く  (静かに動じず)
6.寛大さは海の如く (大らかに広く深く)
7.ありのままの己を見られよ、
   或いは、見られる通りの己であれ。(裏表なく)
来れ 来れ 何人であれ 再び来れ
不信者であろうと、拝火教徒であろうと、 他信徒であろうと、来れ
わが学びの場は絶望にあらず
たとえなんじが百度その誓いをやぶろうとも
来れ 再び来れ

「七説話」はメヴレヴィー博物館の入口にトルコ語、英語で掲示されています。(気が付きませんでした。)

要約してしまうと「愛」でしょうか。「たとえなんじが百度その誓いをやぶろうとも来れ 再び来れ」愛を持って向かい入れる。
「あなたがしなければならないことは、愛を探すことではありません。しかし、あなたのなかにあなたが築いてしまった愛への障壁を探しだし、見つけるということだけなのです。」

ジャラール・ウッディーン・ルーミーによって開基されたメヴレヴィー教団があります。個我からの滅却・解放、そして〈神〉もしくは〈全体〉との合一(この境地を「ファナーウ(ファナー)」という)をみずからの体験として追求するのが前述の通りスーフィーです。このスーフィーの教団の一つがメヴレヴィー教団です。スーフィズムでは禁欲的で厳しい修行を行い、また白い布状の服を身につけて一心不乱に回る、回旋舞踊(ズィクル、セマー)と呼ばれる宗教行為を行い、神との一体化を求めた。これは祈りの手段であり、回転は宇宙の運行を表し、右手のひらは宙を示し、左手のひらは地を示す。スーフィーは導師の指導の下、決められた修行(マカーマート)を段階的にこなし、準備を進める。最終段階では、雑念を捨て去り一心に神の事をのみ考え、神と合一したという悟りが訪れる、「ファナーウ」に至るのを待つ。この境地に至った者は、時として聖者に認められ、崇拝の対象となった。
回転を繰り返すことによってトランス状態、瞑想、「ファナーウ」に至る訳ですね。

以上がジャラール・ウッディーン・ルーミーの人と也です。

回転を繰り返すことによってトランス状態、瞑想、「ファナーウ」に至る訳ですね。残念なのはスーフィズム(صوفية‎, Sufism)とは、イスラム教の神秘主義哲学である、と解釈されていること。この”神秘”という言葉が曲者。私は
スピリチュアルとかオーラとか血液型占いとか大嫌い
です。瞑想が神秘なら、禅も神秘主義宗教になってしまう。「悟り」を安い言葉で置き換えてもらいたくない。

1274年に完成した廟は「緑のドーム」の名前で知られ、今日でも多くの参拝者が訪れている。1923年のトルコ革命で、「脱イスラム政策」の一環として、1927年までに霊廟は破却され、教団は解散させられた。その後、歴史的文化価値などから復興し、霊廟は博物館として一般に開放されるに至ります。偶像崇拝を禁止したイスラームですが、代わりにジャラール・ウッディーン・ルーミー廟に「ムハンマドのあご鬚」が安置されているように、ジャラール・ウッディーン・ルーミーが眠る霊廟は聖地です。撮影禁止、土足禁止、飲食禁止、女性はスカーフ着用が望ましい。(以上、ほとんどをwikiから引用しました)
入り口付近のドーム
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ルーミーの棺に向かう人々。棺の前から人が途切れることはありません。
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この奥がルーミーの棺
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ムハンマドの髭が収められた箱
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カリグラフで書かれたクルアーンも展示されています
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ええ、きっと罰が当たると思います。

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モスクに隣接する弟子たちの寄宿舎跡。こちらは見てもつまらない。
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私はここでおみやげに、ブレスレットを買いました。トルコの伝統的な”目玉”の魔除けが付いたものを。「愛」に満たされるよう祈りを込めて。フックが曲がって外れやすいと苦情がありましたが、聖地で買ったものですのでご容赦を。

小ネタになりますが、スーフィーの諸派の間では、イスラームの多数派が戒律によって禁じる音楽や舞踏などを行法に用いることも一般的である。直接的な体験を重視する傾向ゆえに、師もしくは長老(シャイフ)との直接的な関係を基軸とした共同体や同胞団としての形態をとることが多い。それらの共同体のなかで修行に打ち込んだり、あるいは教えを説いて各地を遍歴したりする者たちは、ダルヴィッシュとも呼ばれる。必ずしもこの名前がスーフィーであることを意味するわけではない。「ダルビッシュセファット・ファリード・有」のように「ダルビッシュセファット」は「ダルヴィーシュのような人」と形容詞として使用されている例もある。テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有ですね。

一部のファンダメンタリズムが崇高な教義を歪める。その宗教全体を悪だと思わせる。正気を持たなければ。
アジアでもありヨーロッパでもあり、アラブにも続くトルコ、様々な人種が行き交い、様々な言葉が交わされ、戦火に焼かれたことも、平和な時代には文明が爆発し世界の中心であったことも。
私にとってトルコ旅行のまとめとは、この場所にあるような気がした。
Heaven is a place on Earth.
人は行きたいところに行けるわけでは無く、行かなければならない所に行かされる。と、思う。
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Ryra

真面目にブログを開いていると 今日のようにいいことがある。
最初の方でトルコ編快調と書き変えてあったので ここを見つけた。
毎日が宝探しのようで楽しいよ。


by Ryra (2014-05-27 22:21) 

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