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4 月の映画 ゴースト・イン・ザ・シェル Ghost in the Shell [映画]

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ポエムはいったん中断するで
さて、
原作『攻殻機動隊』が劇場用アニメ映画として公開されたのが1995 年。もう22 年も経つのか(/・ω・)/。このマンガの主題は「肉体の機械化」、つまり脳・中枢神経系以外を機械化(マンガでは義体化と言う)ができる世界を描いたSF。私は哲学者でも科学者でも何でも無いので言葉が足りなくて恐縮だが、チタンで作られた殻に入った「脳」だけがコロんっとあって感覚(視覚、触覚など)は機械を通して得られた場合、どうやって自己を保つか? また、どうやって個人を区別するには? どうやって社会を認識するか? 生きてるって何だろ?生きてるってナア〜ニ!! 理性、知性、感性はどこから来るのか? それらをひっくるめて「ゴースト Ghost 」(見えない何か)がこの物語(マンガだが)のタイトルになっている。何かを感じる(熱いとか痛いとかじゃなく)のは「脳」が好き・嫌い・怖い・・・・他に直感とか予感とか反応をしている、つまり「ゴーストが囁く」わけだ。
以下ネタバレ
主人公ミラ・キリアンは官民共同のプロジェクトか何かで全身義体化された人物。何故だか「少佐」と呼ばれている(原作にはちゃんと設定がある)。演じるのは幣ブログ毎度のスカヨハ。彼女の配役に当たってホワイトウォッシングじゃないかと言われた。どんな意味かと言うと、白人以外の役柄に白人俳優が配役されること。で、問題なのは、それが悪役ではなく「正義の味方」だったりすること。
(話を映画に戻そう)彼女がテロ犯罪を取り締まる「公安9 課(警察の組織)」に配属された。
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左:映画(本作)、右:原作、、以下同じ。この映画では家出少女がさらわれて記憶を上書きしサイボーグにされたという設定(ネタバレ)。何じゃそれ! サイボーグ化に失敗したら誘拐殺人死体遺棄損壊じゃないか!?ホワイトウォッシングどころかストーリーが破たんしている。その失敗作が後述のクゼヒデオ
9 課を仕切るのが、「猿おやじ」こと荒巻大輔
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まぁビートたけしなんだけど、滑舌の悪いデブ太ったオッサンなんだよ
以下、公安9 課のメンバー
レンジャー出身(アメリカ軍海兵隊のエリートね)のバトー
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多分、原作者の士郎正宗も「沈黙の〇〇」のスティーブン・セガールをイメージしてると思う。
イシカワ
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トグサ
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「オレはマテバが好きなの」。原作通り後ろ髪が長い。
ボーマ
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テロリストのクゼヒデオ
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映画では、ただの復讐の鬼(^・x・^)/ 原作では第三次世界大戦で発生した難民の独立を求める革命家
そうそう、家出少女(ミラ・キリアン=サイボーグ化される前の名は草薙素子)のお母さん役で桃井かおり
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ついでに書いておくと、原作にはない女性が9 課にもう一人。おいおい国籍不明のボーマは置いておいて、イシカワも二グロブラザーじゃねぇか!? ホワイトウォッシングどころか「ベクデル・テスト」を意識し過ぎ・・つまり興行的に当てに行った"娯楽映画"だ。舞台が近未来(ただし核戦争後=勝った国、負けた国、義体化、つまりカオスなんだけど)の日本なんだから、無理やり人種や性別の数を揃える必要あるかな。
以下、余談
今現在、AI が黎明期を迎えている。ただし現状のAI は書類や音声を認識して蓄積し分類できるレベルだ(紙媒体や画像を高速に処理できる)。例として「パナマ文書」が公に断罪されるきっかけになったのは、大量のメールや文章を発信者、受信者と金融取引に「ひも付け」するのを人力では途方もない時間がかかるところにAI にやらせたからだ。つまりAI は過去しか見ることができない。「あなたが好きそうな曲を作ります。あなたが好きそうな小説を書きます。」とAI が言うかもしれないが、あなたの過去の趣向に基づいた創作だ。AI 将棋は1 秒間に2 億手読むことができるそうだが、新しいゲームを作ることはできない。本当にAI が「ゴースト」を持って「囁く」にはまだまだ遠い世界だし、私の本心はそうなって欲しくない。しかし原作では電脳も「ゴーストを宿す」ストーリーになっている。その電脳を持つ「宿主」が人型では無く、あえて戦車(多脚戦車とか、AI で自律行動できることから思考戦車)がタチコマ
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私のコレクション「超合金タチコマ」
USB ケーブルでパソコンに繋ぐことができるが、何のことはないスピーカー内蔵のスクリーンセイバー。さて、その戦車で機械であるタチコマが宿したゴーストとは? それは「自己犠牲」なんだよ(本作には登場しません)。
「さよならバトーさん」


プレミア付いたか53,000 円もするぜ
この映画のラスボスが多脚戦車。少佐 vs 多脚戦車(ただしゴースト無し、つまり「脳無し」のリモートコントロール)

グローバルに世界がつながる。それはマスメディアでリアルタイムであったり、ネットであったり。原作「攻殻機動隊」や本作「ゴースト・イン・ザ・シェル」では「脳」そのものが世界に繋がる。そんなボーダーレスな状況で、愛国心だとか郷土愛とか何の意味があるのだろうか? 人種、性別、肌の色・・これらは単なる情報。尊重されるべきはゴーストが宿った「個」であって、「個」に偉い若い小さいは無く全てに平等だ。愛国心や宗教を盾にテロを起こすのは己に自信が無く弱いからだ。

映画としては世界観がブレード・ランナーのマネだね。CG にお金がかかっていて映像は良くできているが新鮮味からすると1995 年に公開されたテレビアニメを超えていない。もしこの映画を観に行くなら、超合金のおもちゃを持っているほど思い入れの深い私のレビューなんか、あなたの「ゴースト」から消去してからにしろと私のゴーストが囁く。

この監督は「光学迷彩」を映像化したかっただけじゃん。だがしかしスカヨハの全身タイツ感が否めない。
★☆☆☆☆ 上映時間が107 分と短いのが救い。評価が厳しくてスマン
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